僕たち・私たちの声

未遂をした後に考えていたこと(mido)

2度目の大量服薬に失敗した、7月あたりに考えていたこと。

 

 

わたしができることはなんだろう、とよく考える。

やりたいのではいっぱいある。ちょっと真面目なことをいうと、勉強したいし、研究したい。発達障害のこと、精神疾患のこと、精神発達のこと。最近はギフテッドとか2e(double exception だったかな?)についても知りたいし、数学とか理科もちゃんと勉強したい。

 

そんな大きなことじゃなくて、バイトで英語教えるのが楽しいし、友達と遊んだり、新しい人と会うのも楽しいからしたい。夜通し誰かの家でご飯食べたり、ドライブ行ったり、海に行ったり、カラオケ行ったり、お買い物したり、そういうのもすごくやりたい。みんなが毎日普通にしてることかもしれないけど、すごくやりたい。

 

そういう普通のことがたぶん、できない。みんなが普通にすることができない。やらないんじゃなくて、苦手なんじゃなくて、できない。わたしが楽しいって思ってても、わたしの体は疲れてしまう。わたしが元気だって思っていても、わたしの心は限界だって言う。そんなの言い訳でしょ、ってわたしは思う。もうちょっとできるよ、って言いながらパソコンをつけてフランス語をし、ワンピースを着てご飯に行き、スーツを着てバイトに行く。わたしの体はたぶんふざけるなって怒ってる。

 

あまり人と話すのは得意じゃないはずだし、新しい環境も苦手だと思う。それなりに今できてるのは、みんなの話し方を真似して、失敗して学んで、毎年友達が変わる留学とか転校何回もしたから。

時間通りに寝たり起きたりも苦手だし、ご飯を買いに行くだけで息ができないくらい疲れることがある。今までできてたのは、学校に行かなくても、課題やテストで成績をつけてくれてたから。

予想通りにいかないことも苦手。予定をなるべく立てないで、人や自分と約束しないで、自己防衛していただけ。いきなりコロナ、とかいう予想を超えるのがきても困る。

そんなわたしに、4年ぶりの日本で、一人暮らしで、日本人と日本の大学で、それがなぜかオンラインで、バイトして、家事して、遊んで、というのはもともと無理な、あまりにも理想的な話なんだと思う。

 

途中でいつも気付く。自分が限界だなーと思う。うまく息ができなくなったり、夜中に怖くなって人呼びつけたり、横になったまま動けない時間が増えたりする。ちゃんと話せなくなったりする。それでも、外に出たらわたしは普通にできる。普通に話して、普通にはしゃいで、普通に仕事できる。そして、わたしが辛いです。限界です。休ませてください。と言ったところで認めてくれるほど、学校もバイト先も家族も友達もわたしに甘くはないし、わたしのことは知らない。助けてください、と言えるほど、わたしもわたしのことを知らないし、わたしのことを受け入れてない。気がつくと、腕も足も切る場所がないくらい血だらけになってる。

 

そうして、いつしか自分がやっている、というより、何かに流されている。みたいな感覚になる。濁流みたいな。時間の流れがわたしよりずっとはやくなって、必死に追いつこうとする。息ができなくなる。追いつけないから、せめてバイトだけ、と思う。18時に起きてバイトに行って、24時に帰ってきて寝る。そっから次の日の17時ごろまでの意識はない。起きてるのか寝てるのかよくわからない。そして、またバイトに行って、人懐っこい中学生たちの前で、元気でうるさくてよく喋るどこか幼いわたしで英語を教える。楽しくてたくさんお喋りしながら先輩と帰ってきて、ご飯を食べて、気がつくと次の日の夕方になっている。

 

でも無理だってわたしの体はいう。家を出て坂を歩いていると息ができなくなって、動けなくなる。吐き気がして座り込む。体調が悪いです。って電話する。一回休んじゃった。もう休めない。と思う。

 

ふと課題リストをみる。授業は2週間は出てない。必修だけやろう、と思ってパソコンを開く。課題をして、提出して。でも授業には起きられない。出席点どうしよう。体が辛いけど、そんなのは甘えなのに。徹夜で課題をしてる同期のTwitterやストーリーをみて、なんでみんなはそうできるんだろう。と疑問に思う。必死で終わらせられないわたしは不良品なんだろうな、と思う。それとも、頑張ってないだけなのかな。

 

そんなのが何日も続いて、ついに、時間の流れについてけなくなると、逃げようと思う。普通は旅行にあったり美味しいものを食べたりするみたいだけど、その体力がもうない。だから逃げようと思う。一歩も動けないし頭も回らない。だから、大学とか一人暮らしとか仕事とかじゃなくて。生きてるってことから。

 

死んじゃいたいんじゃなくて、1ヶ月、いや、1週間でも時間が止まればいいなって。そのまま、無心で薬を開ける。なにを考えていたかはもうわたしには覚えてない。

 

 

死んじゃおうとする、っていう行為はわたしにとって、時間をとめたい、とおもうだけなのかもしれない。毎回思う。実際に死んじゃおうとした後のことを少し考えてたりする。面白い話だ。

 

でも、逃げようとして、病院にいても、おうちにいても、わたしの周りの時間はやっぱり進んでる。気がつくと何日も、何週間もわたしは動けないままで、周りの人たちは勉強したり仕事をしたり思い出を作ったりしている。ぼんやりとsns を眺める。何日だと思う?と言われた。10日くらい?って言ったら20日だよ、って笑われた。

 

そうして、わたしが時間が進んでいいよ、って思える頃には、もっかい頑張って歩こうと思う時には、自分はよくわからない場所に残されてる。

 

だから、なにも変わらないまま、なにも成長しないまま、わたしはわたしより何日も何ヶ月も進んだ世界にいきなりこんにちは、することになる。

 

 

前に、発達障害があると、成長はできるし前にも進めるけど、前に進む力が、何かを乗り越える力が弱いっていうのを読んだことがある。たぶんそうなんだろう。人と同じようにすることはできても、人と同じように進むことはできないんだろうな、と思う。

 

それは、英語が話せて、日本語が話せて、慶應で大学生をしていて、それなりになんでもできそうに見えたとしても、人と同じように進むのはすごく大変なんだろうな、と思う。勉強が少しできたって、少し人と話すのが得意そうに見えたって、少し仕事が覚えるのがはやくたって、そんなことは大して関係がないんだと思う。

 

水の流れに沿って歩いてける人、逆らって別の方向に行ける人。もともと流れなんかない砂浜を歩いてる人。いっぱいいると思うけど、たぶんわたしは水の中で溺れてる人なんだろうな、と思う。たまに少し頭が良くなって、木とかでイカダでも作って、ちゃんと息ができる。でも疲れて、イカダから落ちてまた息ができないまま流されて、意識が飛ぶ。その繰り返し。

 

またちゃんとすすめるようになったらなにをしようかな。人に会いに行こうかな。一人暮らししたいな。課題、ちゃんとやりたいな。勉強したいな。バイト、はやくみんなに会いたいな。そう思っててもどうせ、その何個しかできなくて、また苦しくなって、きっと死んでしまう。

 

 

まだわたしは止まった時間のところにいるけど、これからどうしようかな、なんて、あまり動かない頭で考えてる。

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mido

NeBA MEDIAリーダー。慶應義塾大学総合政策学部1年。大学で認知心理学と視線処理を用いた、定量的な自閉症の診断を研究しています。ASD当事者。概日リズム障害、不登校なども経験済み。中高時代はカナダ・BC州に在住

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